エティエンヌ・ソゼ / Etienne Sauzet

エチエンヌ・ソゼ - Wine Library

Etienne Sauzet

言わずとしれたピュリニー・モンラッシェの雄

 ソゼ家はフィロキセラ禍がフランス全土を襲う前、約150年前から葡萄栽培と菜園業を営んでいた旧家。創業者のエティエンヌ・ソゼ(1903-1975)がの1935年頃から、家族の所有畑や購入畑をまとめ上げ、当時としては画期的な「元詰め」を始めた。フランス各地の著名レストランを顧客に直売してきたという名実共に今日的ドメーヌの先駆者である。ドメーヌに名を冠する創始者、エティエンヌ・ソゼは1925年、結婚を機に夫人の実家からもたらされたわずか数ヘクタールの相続畑を元にドメーヌを興した。年々畑を拡大し、戦後には12haあまりを所有するようになった。2代目当主のジェラール・ブード氏はディジョン大学で醸造を学んでワイン造りの道に入った。ヴォルネィの名門プース・ドールで働き始めた1974年、ボーヌの醸造学校で知り合ったソゼ氏の孫娘妻、ジャニーヌと結婚。翌年ソゼ氏が死去すると、栄光のソゼを引継いだ。

 1991年の相続にあたり、ソゼ氏の持ち分が9haに減少すると(減少分はポマールのジャン・マルク・ボワイヨが相続)、ブード氏は不足を補うためネゴシアン業を始めた。契約農家はブード氏の栽培理念に賛同する農家のみ選んでいる。ほとんどを葡萄の状態で購入しており、ドメーヌ内で醸造から出荷までを行なっている。あくまでも12haを所有していた時代の顧客のために行うネゴシアン業であり、品質のためにもこれ以上ネゴシアン業による生産を増やすつもりはないという。

 2000年代に入ると、ドメーヌの運営はジェラールの娘にあたるエミリーとその夫であるブノワ・リフォーによって担われるようになった。ブノワはロワール地方サンセールの名門クロード・リフォー家に連なる出身であり、白ワイン造りにおける厳格な畑管理やテロワール重視の姿勢をピュリニーに持ち込んだ。

凝縮感と酸が美しく調和した均整のとれたワイン

 エティエンヌ・ソゼは2006年にオーガニック農法を採用し、その後2010年いはビオ・ディナミへと完全に移行した。化学肥料や合成農薬を避け、テロワールとブドウ本来の生命力をこの手法は、ピュリニー・モンラッシェの石灰質土壌のポテンシャルを余すところなく表現するためである。

 収穫後のブドウは破砕せずに全房のまま圧搾され、発酵はフレンチオーク樽で行われる。その後、次の収穫までステンレスタンクで澱と共に熟成するのが基本的なプロセスである。新樽比率は区画によって異なり、村名やブルゴーニュ・ブランでは控えめに、一級畑では20〜33%、特級畑では40%前後が用いられる。このバランスは、樽由来のニュアンスを補助的に生かしながらも、テロワールの個性を隠すことなく引き出すためのものである。

 モンラッシェ(バロン・テナール家所有区画)、シュヴァリエ・モンラッシェ、ビアンヴニュ・バタール・モンラッシェ、バタール・モンラッシェなどのブルゴーニュの白ワインのトップに君臨する特級畑を手がけているが、2022年からはこれらに加えてコルトン・シャルルマーニュも、コルトン側とラドワ側の二区画のものとして、新たに加わった。まさに死角なしの圧倒的なラインナップである。

代表的なキュヴェ