コント・アルマン
Comte Armand
アペラシオンを代表する一級畑Clos des Epeneauxの単独所有者
コント・アルマンはドメーヌ・デ・ゼプノーとしても知られており、その名の由来はドメーヌを象徴するモノポールClos des Epeneauxにある。フランス革命時に教会から没収されたこの畑は18世紀の終わりにニコラ・マレーが手に入れた。なお、このマレー家はDRCのRomanee Saint Vivantの畑の元所有者(Marey Monge)にあたる。ニコラスは1805年頃に畑を石垣で囲ってモノポールを誕生させ、その後、娘の結婚を機に1828年にアルマン家に引き渡した。アルマン家はClos des Epeneaux以外の畑も所有していたが、途中で全てを売り払いこの5ha強のモノポールだけを残した。その後百年以上にわたって同家はモノポールのみを所有する形を取っていたが、1994年の畑の拡張を機にヴォルネイとオーセイ・デュレスが加わり現在の9ha規模となった。
歴代の一流醸造家
畑の重要性もさることながらコント・アルマンを語る上で欠かせないのは、敏腕ワインメーカーたちが繋いできた歴史である。ドメーヌのモダンな時代の幕開けは1985年、23歳という若さで醸造長に就任したパスカル・マルシャンとともに始まった。それまでは収量のほとんどがバルクで(とりわけLeroyに)売られていた。パスカルはまず古樹の植え替え、使い古された樽を新調し、選果台を導入した。1996年には畑でビオディナミのトライアルを開始した。しかしその3年後、Domaine de la Vougeraieからのオファーを受け、コント・アルマンを去ることを決める。1999年、パスカルの後任者となったのがバンジャマン・ルルーである。バンジャマンは献身的にビオディナミ栽培を行い、ワインのスタイルをエレガント路線に変化させた。2014年に自身のマイクロ・ネゴシアンを立ち上げるためにバンジャマンが去るとポール・ジネッティがその後を継いだ。2010年からコント・アルマンで働くポールは前任者が築いたビオディナミを維持し、一貫した品質の見事なワインを作っている。