フランソワ・ラヴノー
Francois Raveneau
シャブリの頂点に君臨する生産者
ラヴノーはシャブリの頂点に立つ生産者である。Dauvissatと双璧をなすシャブリの2大巨頭として語られるが、トップに君臨するのは間違いなくラヴノーである。シャブリを語る上で外せない生産者だが、ラヴノーには大きな問題がある。入手できないのである。市場に出回る前にプロや愛好家が買い占めてしまうのだ。この傾向は2000年以降にとりわけ顕著であり、その背景の一つにWA誌がある。2002年のLes Closに98~100点、Valmurに96~98点というシャブリ史上初の最高評価が与えられたのである。この衝撃はまたたく間に広がり、価格高騰とともに世界中のバイヤー達の奪い合いが始まった。
一代でトップまで押し上げた偉大な先代
ドメーヌ設立は1948年。フランソワ・ラヴノー夫妻がお互いの家系の畑を統合するところから始まった。(フランソワの妻はDauvissatの家系。)1940-50年代のシャブリは経済的に厳しく、他産地が競合として台頭しシャブリの需要が低下していた。また、フィロキセラ被害によるブドウの引き抜きや、第二次世界大戦の影響もありワイン生産が容易ではなかった。こうした背景もあって、フランソワの父ルイは何年もの間、ブドウを他者へと売っていたが、フランソワは自分でワインを作りたかった。彼の強い熱意はこれを実現させ、ラヴノー家における自社瓶詰めの第一人者となった。
厳しい時代ではあったものの、シャブリにポテンシャルを見出したフランソワは、60-70年代に安売りされていた土地を買い、畑を拡張していった。その後、1978年にフランソワの息子ジャン・マリーがドメーヌに加わり、84年にワイン造りを引き継いだ。フランソワは引退する95年までジャン・マリーをサポートしていた。引退と同じ頃にジャン・マリーの兄ベルナールがドメーヌに加わり、兄弟の2人体制がスタート。しかしその矢先、フランソワは永眠してしまう。2000年のことであった。現在はジャン・マリーとベルナールに加え、ベルナールの娘イザベルもドメーヌに加わり、新たな世代へと受け継がれている。