ブルゴーニュの神様 Henri Jayer / アンリ・ジャイエ

ブルゴーニュワインを知っていく中で、まず初めに見聞きするであろう伝説的生産者アンリ・ジャイエ。その名はおそらくワインを嗜む皆様なら一度は聞いたことがあるでしょう。

しかし、実際にアンリ・ジャイエの歴史、アンリ・ジャイエがブルゴーニュワインにどのような影響を及ぼしたのかについて、意外と細部まで記述されることは少なく、名前だけが先行している部分も否めません。

このページでは、そんなアンリ・ジャイエについて、初歩的な部分から少しマニアックな部分まで記述していきます。

 

アンリ・ジャイエの歴史――“小さな造り手”が伝説になるまで

アンリ・ジャイエ(Henri Jayer, 1922–2006)は、ブルゴーニュの中でも随一の銘醸地であるヴォーヌ・ロマネ村の造り手です。しかし、彼のキャリアの出発点は、いわゆる「偉大な名門」でも「莫大な畑を持つ大ドメーヌ」でもありませんでした。むしろその逆で、ジャイエは生涯を通して比較的小規模な生産者であり、決して大量のワインを市場に供給した人物ではありません。だからこそ、彼が残した仕事は“量”ではなく“質”で語られ、結果として伝説になりました。

ジャイエの歩みを理解するうえで重要なのは、彼が活動した時代背景です。第二次世界大戦後のブルゴーニュは、今日のように「畑の個性が世界中から注目され、区画名が宗教的な意味を持つ」ような時代ではありませんでした。多くのワインはネゴシアン(ワイン商)が買い集めて瓶詰めし、畑の仕事は効率化へ向かい、品質よりも収量が優先される局面もありました。ピノ・ノワールは繊細で魅力的な一方、年によっては青さや硬さ、粗いタンニンが目立ち、ブルゴーニュの赤が「いつもエレガントで官能的」という現在のイメージは、当時は必ずしも当たり前ではなかったのです。

そのなかでジャイエは、ワインの完成度を畑から組み立てることに強い確信を持ちました。収量を抑え、成熟を待ち、健全なブドウだけを使い、醸造では余計な介入をせずにピノ・ノワールの香りと質感を純粋に引き出す。こうした姿勢は、今でこそ当たり前の理想像として語られますが、当時のブルゴーニュでは突出した考え方でした。

そして彼の歴史を語る上で外せないのが、クロ・パラントゥ(Cros Parantoux)の存在です。現在ではヴォーヌ・ロマネの中でも特別な区画として語られ、ジャイエの象徴として神話化されている畑ですが、当初はそうではありませんでした。石が多く耕作が難しく、労力がかかる割に評価されにくい区画。多くの生産者にとって“魅力的な畑”ではなかった場所です。ところがジャイエは、そこに潜む可能性を見抜き、畑を“育て直す”ように耕し続けました。畑を手に入れること以上に、畑を仕上げることに人生を投じた。これがジャイエの本質です。

ジャイエの人生は、派手な拡張ではなく、ひたすら精度を上げる方向へ向かいました。畑の手入れ、収穫のタイミング、選果、醸造、熟成、瓶詰め。すべての工程において「雑味を排し、香りと質感を研ぎ澄ます」ことを優先した結果、彼のワインはブルゴーニュの枠を超えた“理想形”として語られるようになります。そして、規模の小ささゆえに生産量は限られ、希少性がさらに伝説を強化していきました。

 

“ブルゴーニュの神様”

アンリ・ジャイエが“ブルゴーニュの神様”と呼ばれるようになった理由は、単に「高得点を連発したから」でも「値段が高騰したから」でもありません。むしろそれらは結果であり、本質はもっと深いところにあります。ジャイエがブルゴーニュの歴史に刻んだのは、ピノ・ノワールにおける「質感」と「純度」の概念そのものを更新したことでした。

その中心にある技術的な特徴が、ジャイエが好んだ完全除梗(100%除梗)です。ここが誤解されやすいポイントでもあります。近年のブルゴーニュでは、全房発酵が流行し、「茎由来のスパイス」「立体的な香り」「しなやかな骨格」が語られることが増えました。その流れの中で、ジャイエも全房の使い手だったと誤って語られることがあります。しかしジャイエはむしろ逆で、徹底した除梗=茎を完全に取り除くことによって、自分が理想とするピノ・ノワールの質感を作り上げた人物でした。

なぜジャイエは完全除梗にこだわったのか。答えはシンプルで、彼が目指したのは「香りの透明度」と「タンニンの絹のような滑らかさ」だったからです。ピノ・ノワールの茎(梗)は、熟していればスパイスや清涼感、構造を与える一方、未熟であれば青さや硬さ、苦味、乾いた渋みをもたらします。そしてブルゴーニュの気候条件では、特に昔の時代ほど梗が完璧に熟す保証は高くありませんでした。
彼にとって重要なのは、ワインの骨格を茎に頼ることではなく、果皮と種、そして果実そのものの成熟で作ることでした。だからこそ、彼は完全除梗を徹底し、青さの可能性を最初から断ち切ったのです。

この完全除梗は、単なる「茎を取る」という作業では終わりません。ジャイエは、除梗したブドウを扱ううえで、抽出を乱暴にしないことも徹底しました。除梗によって茎由来の硬さが消える一方、果皮と種のタンニンはダイレクトにワインへ移りやすくなります。ここで強く抽出しすぎれば、今度は果皮由来の渋みが荒くなってしまう。ジャイエはそこを理解しており、発酵中の管理、温度、抽出の加減を繊細に調整し、「濃密なのに滑らか」「力強いのに柔らかい」という矛盾を成立させました。

結果として、ジャイエのワインには独特の触感が生まれます。香りは赤い果実が中心にありながら、そこにスパイスや土、熟成によるトリュフの気配が静かに重なり、口当たりは驚くほど滑らか。タンニンは存在するのに、舌に引っかからない。余韻は長く、香りの層がゆっくりとほどけていく。この「舌触りの美学」こそが、ジャイエを神格化した最大の要因です。

さらに重要なのは、ジャイエが“畑の格付け”という常識を揺さぶったことです。クロ・パラントゥのように、当時は必ずしも評価されていなかった区画を、徹底した畑仕事と醸造の精度で別格へ押し上げた。これは、テロワールが単に与えられるものではなく、人の仕事で解像度を上げられるという思想をブルゴーニュに持ち込んだ出来事でした。
そしてこの思想は、後に“パーセル(区画)表現”の時代を準備し、今日のブルゴーニュの価値観の基礎になっていきます。

ジャイエはまた、ワインが若いうちから魅力的であることも否定しませんでした。熟成して偉大になるワインは多い。しかし若い時期に硬く閉じていて「10年待て」と言われるのが当たり前である必要はない。若い段階から香りと質感があり、熟成でさらに奥行きが増す。ジャイエのワインはその両立を示し、飲み手の体験そのものを変えました。こうして彼の名は「ピノ・ノワールの究極形」「ブルゴーニュの到達点」として語られるようになり、いつしか“神様”という呼び名が、比喩ではなく評価の型として定着していったのです。

 

ジャイエの影響を受けた生産者たち

アンリ・ジャイエの影響力は、彼のボトルがオークションで天文学的な価格をつけることにあるのではありません。もっと重要なのは、彼の思想が“人”と“ドメーヌ”を通じて現在まで生きていることです。ジャイエが残したものは、希少なラベルではなく、ブルゴーニュのピノ・ノワールを「どのような完成度で造るべきか」という基準そのものでした。

最も直接的な継承者としてまず挙げるべきは、甥のエマニュエル・ルジェ(Emmanuel Rouget)でしょう。ルジェはジャイエのもとで醸造を学び、のちにジャイエの精神を最も濃く残す造り手として世界中の愛好家に追いかけられる存在になりました。ジャイエ的な質感つまり緻密で絹のようなタンニン、赤い果実の芯の甘さ、香りの純度を現在形で感じたいなら、ルジェは筆頭に挙がる名前です。ジャイエの“完全除梗が生む透明感”という美学は、ルジェのワインにも強く刻まれています。

次に重要なのが、ドメーヌ・メオ=カミュゼ(Méo-Camuzet)です。ジャイエは長年にわたりメオ家の畑仕事と醸造に深く関わり、ジャン=ニコラ・メオがドメーヌを本格的に整えていく過程で大きな影響を与えたと語られてきました。メオ=カミュゼが持つ“濃密さと気品の両立”は、ジャイエの哲学が別の器に移植されたものとして理解できます。つまりジャイエの血統は親族関係だけでなく、技術と思想の伝播としても成立しているのです。

さらにジャイエの影響は、ヴォーヌ=ロマネ周辺の多くの生産者に、ある種“空気のように”浸透しました。収量を落とし、成熟を揃え、選果を徹底し、抽出を乱暴にせず、樽はワインを飾るためではなく整えるために使う。そして、青さや雑味を嫌い、香りの純度と質感の滑らかさを最優先する。これらは今日、コート・ド・ニュイの優良ドメーヌの共通言語に近いものになっています。

たとえば、現代ブルゴーニュの中で「透明感」と「旨味」の両立で語られるフーリエ(Domaine Fourrier)や、過度な樽香に頼らず果実の精度を追求する多くの生産者は、直接の師弟関係がなくとも、ジャイエが確立した“引き算の完成度”の価値観と響き合います。ここで重要なのは、ジャイエの影響が「この技術を真似た」という単純な模倣ではなく、完成度の基準が共有されたという形で広がっていることです。

また、ジャイエが確立した「完全除梗による純度」という思想は、近年の全房発酵ブームの中でも逆説的に存在感を増しています。なぜなら、全房発酵が広がるほど、飲み手は「茎の香り」や「スパイス」を感じる機会が増え、同時に「茎がないワインの透明度」という価値にも気づくからです。つまりジャイエは、流行とは別の軸で、今もなおブルゴーニュの中心に立ち続けています。

影響はブルゴーニュの外にも及びます。ロワールのディディエ・ダグノー(Didier Dagueneau)のように、別産地で“区画ごとの表現”を強烈に打ち出した造り手が、仕事の精度という観点でジャイエの思想と共鳴するのは象徴的です。さらに新世界でも、カリフォルニアのピノ・ノワール生産者たちがジャイエを参照点として語ってきました。そこには「ピノ・ノワールは軽いだけではない。緻密で、官能的で、長い余韻を持ちうる」というジャイエが証明した事実が、世界のピノの物差しになったという背景があります。

現在、ジャイエのボトルは飲むこと自体が困難になり、神話は市場価格によってさらに増幅しています。しかし、ジャイエの影響力は“ボトルの外側”にこそ残っています。畑の手入れ、収量、成熟、選果、発酵の健全さ、抽出の節度、樽の使い方、そして何より「ワインの質感は畑から始まり、醸造で壊さない」という設計思想。
この基準は今も多くのトップ生産者が共有しており、ブルゴーニュのピノ・ノワールが世界の頂点であり続ける理由のひとつでもあります。アンリ・ジャイエが残したのは、伝説的なラベルや希少なボトルだけではありません。ブルゴーニュがブルゴーニュであるための“仕事の精度”そのものを後世に手渡したこと。それが、今日まで続くジャイエの本当の影響力なのです。