メオ・カミュゼ

アンリ・ジャイエの薫陶を今に受け継ぐヴォーヌ・ロマネの名門ドメーヌ

メオ・カミュゼの歴史は、栽培農家であると同時に、コート・ドール県選出の代議士であったエティエンヌ・カミュゼに始まります。当時クロ・ド・ヴージョ城も所有していたため、メオ・カミュゼのクロ・ド・ヴージョの畑は、城の周辺と真下という、もっとも素晴らしい位置を占めています。

エティエンヌ・カミュゼの娘、マリア・ノワロには跡継ぎがなく、1959年、近親のジャン・メオにドメーヌを託しました。ジャン・メオは畑は折半耕作の形で小作人に任せ、出来上がったワインは樽のままネゴシアンに売られていた。そして、この時の小作人でドメーヌのワインを手がけていたのが、ブルゴーニュの神様アンリ・ジャイエでした。

そして、1980年台にジャンの息子ジャン・ニコラ・メオがブルゴーニュに戻り元詰めを開始。当時24歳であったニコラだけではドメーヌの運営は難しく、表向き引退を宣言したアンリ・ジャイエも、ドメーヌのコンサルタントとして若きジャン・ニコラの指導にあた離ました。

リシュブール、クロ・ド・ヴージョ、エシェゾー、3つのコルトン(従来からあるクロ・ロニェに、2010年ヴィンテージからペリエールとヴィーニュ・オー・サンが加わった)といった特級畑と、戦争直後にアンリ・ジャイエが開墾したヴォーヌ・ロマネ1級クロ・パラントゥー。宝石のようなクリマの数々を有したメオ・カミュゼはブルゴーニュのトップドメーヌとしての地位を確立しています。